キノコと山の遊び
休日の暇を見付けては、あちらこちらと山を徘徊するのが、最近の私の秋の過し方。
近所の山中でも、気軽に、そして意外なほど面白い。
身近な自然を観察するには、非常に良い機会のようにも思う。
山の色合いを見ると、いよいよ晩秋、そして冬が近いことが覗える。
そんな四季の変化を観ながら、私の視線は山のキノコに。
キノコに目を向けるようになってから、「山」が気になって仕方が無い。
(ちなみにその前までは、何処に行っても「川」ばかり見ていた)
何がこうも面白いと感じるのか、自分でも良く分からない。
単純に「山が好き」なのは確かとしても、それだけでは無いと思う。
ちょっと考えてみた。
渓流釣りが好きな私は、「釣り」と言うと、無条件に渓のアマゴ・イワナを連想する。
湖沼や海の釣りが嫌いなわけではないけれど、「釣りが好き」ではなくて、「渓魚を釣るのが好き」。
釣りをしていて、「何が面白いか」とあらためて自分で問い直すと、
それはもう、書き始めたらキリが無いほど、沢山の理由が出てくる。
そして、この「キノコ」は、やることは違っても、釣りの際と似たような言葉が並ぶかもしれない。
私的な解釈では、「渓流釣り・山菜採り・キノコ採り」はワンセットになりそうに想う。
山菜採取の時にも、「見付ける(出会う)」喜びがある。
山間を歩いていて、好きな野草の群生を見ると、「おぉ!」と声が出てしまう。
キノコの場合、この感覚が更に大きいような気がする。
釣りで言うなら、格好良い良型が、とか、見事な大物が、とか。
そういう感覚に近いのかも? 一緒にするのは語弊がありそうだけど・・。
釣り馬鹿的な考えで言うと。
キノコや山菜は動かないので、見付けてしまえば、とりあえず採取は出来る。
渓流釣りは、食わせる技術も、掛けてからのやり取りも、
魚を手にするには、色々な技術がある程度必要なのは間違いない。
しかしキノコは、技術より何より知識と経験が無いと、出会うところまで行けないようにも想える。
まして採取するとなれば、知らないキノコは中毒が怖くてとても手を出せない。
採取においては、山菜よりも知識の面でハードルが高い。
食べて美味しいとか、それも大事ではあるけれど、私の場合は探す楽しさが先。
これも釣りと共通する部分かもしれない。
枯葉の間から、綺麗なキノコがヒョッコリ見えたりすると、何とも言えず嬉しい。
買ってきた方が手早くて安全、なのは重々承知なのに、何故こうも真剣になれるのか?
考えてみても、結局のところ、結論は出ない。
ただ間違いなく「楽しい」。 とりあえず暫くは、このまま山歩きをしよう。
真冬までの間、まだまだ山渓遊びは続く。
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おはようございます。
草の呪い以外に山の呪い??にも罹ってしまったようですね。(笑)
>私的な解釈では、「渓流釣り・山菜採り・キノコ採り」はワンセット → その通りだと思います。
私の故郷の年配の方々は、四季の楽しみを持っていました。
春は渓流釣りと山菜採り、夏は鮎漁、秋はキノコとヘボ採り、ついでに自然薯も。
冬は田畑と山の幸を肴に仲間とお酒かな???
住み慣れた故郷を離れて20年。
アイさんの日記を拝読し、田舎に生活環境を変えたくなってしまいました。
投稿: はなひろ | 2012年11月16日 (金) 08時56分
はなひろさん、おはようございます。
キノコの中毒?は、山菜のそれよりキツイものが。
楽しみが増えるのは幸せなことだと、自己満足してます(笑)。
四季を遊び、その恵みを戴くのは、現代的にはかなり贅沢かもしれませんね。
私は山や川から離れては、多分生きていけません。
たまの休日だけでも、これからもずっと山渓に親しんでいくと思います。
投稿: アイ | 2012年11月17日 (土) 08時32分