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2012年11月15日 (木)

キノコと山の遊び

休日の暇を見付けては、あちらこちらと山を徘徊するのが、最近の私の秋の過し方。

近所の山中でも、気軽に、そして意外なほど面白い。
身近な自然を観察するには、非常に良い機会のようにも思う。

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山の色合いを見ると、いよいよ晩秋、そして冬が近いことが覗える。

そんな四季の変化を観ながら、私の視線は山のキノコに。

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キノコに目を向けるようになってから、「山」が気になって仕方が無い。
(ちなみにその前までは、何処に行っても「川」ばかり見ていた)

何がこうも面白いと感じるのか、自分でも良く分からない。
単純に「山が好き」なのは確かとしても、それだけでは無いと思う。

 
ちょっと考えてみた。
  
渓流釣りが好きな私は、「釣り」と言うと、無条件に渓のアマゴ・イワナを連想する。
湖沼や海の釣りが嫌いなわけではないけれど、「釣りが好き」ではなくて、「渓魚を釣るのが好き」。
 
  
釣りをしていて、「何が面白いか」とあらためて自分で問い直すと、
それはもう、書き始めたらキリが無いほど、沢山の理由が出てくる。

そして、この「キノコ」は、やることは違っても、釣りの際と似たような言葉が並ぶかもしれない。

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私的な解釈では、「渓流釣り・山菜採り・キノコ採り」はワンセットになりそうに想う。
  
  
山菜採取の時にも、「見付ける(出会う)」喜びがある。
山間を歩いていて、好きな野草の群生を見ると、「おぉ!」と声が出てしまう。

キノコの場合、この感覚が更に大きいような気がする。

釣りで言うなら、格好良い良型が、とか、見事な大物が、とか。
そういう感覚に近いのかも? 一緒にするのは語弊がありそうだけど・・。

 
釣り馬鹿的な考えで言うと。

キノコや山菜は動かないので、見付けてしまえば、とりあえず採取は出来る。

渓流釣りは、食わせる技術も、掛けてからのやり取りも、
魚を手にするには、色々な技術がある程度必要なのは間違いない。

しかしキノコは、技術より何より知識と経験が無いと、出会うところまで行けないようにも想える。
まして採取するとなれば、知らないキノコは中毒が怖くてとても手を出せない。
採取においては、山菜よりも知識の面でハードルが高い。

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食べて美味しいとか、それも大事ではあるけれど、私の場合は探す楽しさが先。
これも釣りと共通する部分かもしれない。

枯葉の間から、綺麗なキノコがヒョッコリ見えたりすると、何とも言えず嬉しい。

買ってきた方が手早くて安全、なのは重々承知なのに、何故こうも真剣になれるのか?

 
考えてみても、結局のところ、結論は出ない。

ただ間違いなく「楽しい」。 とりあえず暫くは、このまま山歩きをしよう。
真冬までの間、まだまだ山渓遊びは続く。

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「山菜・キノコ・その他アウトドア」カテゴリの記事

コメント

おはようございます。

草の呪い以外に山の呪い??にも罹ってしまったようですね。(笑)
>私的な解釈では、「渓流釣り・山菜採り・キノコ採り」はワンセット → その通りだと思います。

私の故郷の年配の方々は、四季の楽しみを持っていました。
春は渓流釣りと山菜採り、夏は鮎漁、秋はキノコとヘボ採り、ついでに自然薯も。
冬は田畑と山の幸を肴に仲間とお酒かな???

住み慣れた故郷を離れて20年。
アイさんの日記を拝読し、田舎に生活環境を変えたくなってしまいました。 

はなひろさん、おはようございます。

キノコの中毒?は、山菜のそれよりキツイものが。
楽しみが増えるのは幸せなことだと、自己満足してます(笑)。

四季を遊び、その恵みを戴くのは、現代的にはかなり贅沢かもしれませんね。

私は山や川から離れては、多分生きていけません。
たまの休日だけでも、これからもずっと山渓に親しんでいくと思います。

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