山菜採り・少しの後悔
以前、実家に帰省した際の父親との会話。
私・「山菜は採れるタイミングで良い場所に入れば、採り切れないほど出てるよ」
父・「タイミングは大事なのはそうだけど、そんなに沢山は採れんよ」
私・「いや、採れるんだって。」
父・「採れんって」
どうも我が父ながら、息子の言う事を信じないな・・。
山菜にしろ他の何にしろ、私は乱獲は慎みたいと考えているので、余る程採るのは好まない。
山男だった父は、5年ほど前から、膝の古傷が痛むらしく。
山の斜面の上り下りがキツくなったのだそうだ。
そしていよいよ今年、好きだった山行を諦め始めた。
父・「もう、奥山には行けないなぁ。山菜は欲しいし、寂しいけどな」
聞かされるコッチが寂しくなるよ、親父・・。
よし、それならば。
いつもの何倍かの収穫をして、届けてやろうじゃないか。収穫を見たら、親父も私の言う意味を理解するだろう。
私が本気で採集すれば、山菜のピークシーズンなら、種類豊富に10キロ以上は楽勝(勿論、普段はそんな採り方はしない)。
「山菜の観測地点」を私は幾つも持っている。
例えば、長良川・郡上に行く時、目的地の前に、立ち寄る山があって。
そこで芽吹き具合を見ると、「あぁ、これなら八幡以北が今はイイな」とか「美並あたりが盛りだな」と言う具合。
標高が違うと芽吹きのタイミングが違うので、その判断材料を各地に仕込んでおく。
それに特技?として、車を走らせる最中に山をチラ見すると、そこに狙いの山菜があるかないか、あるなら多いか少ないか、それが見ただけで大体解る(プラスに外すことはあっても、マイナスに外すことは近年は無い)。
この判断力は誰にでもある訳でないことを知ったのは、最近の話。
複数人で山行する機会が少ない私は、他の人達がどうやって生え場を見付けて採集してるのか、殆ど知らなかった。
この能力?は山菜採取にはかなり有効で、「ある」と見立てた場所に直行するので、無駄な時間は過ごさなくて済む(特に木の芽系の山菜に効果大)。
山男の父も、長年山行している仲間でも、話を聞く限りでは、こうした嗅覚みたいなものは、皆が持っている訳ではないらしい。
山盛りに採取した山菜を持って、普段はあまり行かない実家へ、今年は3週連続で行った。
コシアブラ、タラノメ、ハリギリ、ウド、コゴミ、ハンゴンソウ、キヨタキシダ、ヨブスマソウ、ミヤマイラクサ・・あと何だっけ、他諸々。
20種くらいは持ってたのじゃないかな?
父・「おぉ! 良いのばかりじゃないか! それにこんなに沢山!!」
私・「前に言ったろ? 山菜は採れる場所に行けば、売るほど採れるって。 どうよ、信じた?」
父・「俺はこんなに一日で採ったこと無いよ。 ある場所にはあるんだなぁ。 ありがとう、嬉しいよ」
親父が目を細めて、新聞紙の上に盛った山菜の山と私を見てる。
これは、初孫(ウチの長男)が生まれた時に抱っこした時以来の表情だ、と想った。
嬉しかったのだろう。中々出来なかった、「親孝行」なのかな。
自分が足が不自由で山に行けない、そこに息子が欲しい山菜を持って来る。
私自身がそうなったらと想像すると、爺ちゃんが抱いていた私の息子が、将来私に同じことをしてくれたら、確かに嬉しい気がする。
私は道路近くの、開けた場所の山菜はまず手を出さない。
そして採る際には、「間引き」するのみで、決して「根こそぎ」な採り方はしない。
歩き易い場所の山菜は、春を楽しみにしてる、地元のお爺ちゃんとか、そうした人に残しておきたいと想う。
歩く足のある私のような者は、山を昇り降りするだけのこと。
ウチの親父のように、採りたくても山を歩けない人達は、そうした場所に行ってくれたら良い。
私・「親父、来年の春に、車の運転も案内もするから、一緒に山に行こう」
・・・・
この台詞がもっと早く言えてたら。
足が不安な親父は、今の私と一緒に山歩きは出来ない。
釣りがメインの趣味の私と、山がメインの親父では、行き先の選定が違っていた。
だけど、同じ山好き、重ね合わせられる部分もあったはず。
少しばかり後悔・・
とはこのこと。
私は渓流釣りが好きで好きで、「釣り」に絡めて山菜採取をしてきた。
親父は山菜やキノコが好きで、山歩きしていた。
何で一緒に行こう、と、今までならなかったのか。言えなかったのか。
元気な親父と一緒に山に入ったのは、小学生頃だったかな。
その後は方向性の違いもあって、私も親父も、互いに情報交換するでもなく、好きなように楽しんでた。
もう、親父は山が歩けない。
本人もだろうが、私は物凄く寂しく感じるんだよ。
また山菜やキノコは持って行くよ。
嬉しそうな顔が見れれば、私も嬉しいからさ。
長生きしろよ、親父。
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自分の親父は27年前に46歳でなくなりましたが、その3週間前に自分と友達で
四万十川へアカメ釣りにいきました。(アカメのボイルが有り1匹釣れました。)
その時親父は珍しく一緒に四万十へ行きたいと駄々をこねましたが友達もいるし
車中泊なので今回は諦めて、来年は親父と行こうと言って諭しました。
まさか3週間後に亡くなるとは思ってもいなかったのですが、亡くなってみると
凄い後悔の念が!!連れてってやれば良かったと今でも夢にみます。
親父の1周忌に四万十へ行って散骨してきましたので少しは喜んでいると
思いますが、やはり生きてる時に一緒に行きたかったというのが本音ですね!!
先週27回忌をやったばかりなので、この記事が妙に心に堪えました。
親父はヘラ鮒釣り師でしたが、渓流にも憧れていたらしく子供の自分を連れて
渓流へ何度か行きましたが、アマゴの顔は一度も見れずでしたね。(;^ω^)
自分がここまで渓流に必死になっているのは親父もきっと肩に憑いているせいかと
思います。(ΦωΦ)
アイさんも親父さんが少しでも動ける内に一緒に山へ行ってあげてください!!
きっと喜ぶと思います。(*^_^*)
投稿: 尺上釣り太郎 | 2019年6月11日 (火) 22時24分
尺上さん、おはようございます。
そうですか、お父様は若くして亡くなられたのですね・・。
私は今までは、いつでも親父とは合わせられるような気がしていて、でも合せようともしてなくて、でした。
数年前から、親父の足が悪い事は気付いていました。それでも、「今のうちに一緒に行こう」とは考えなかったのです。
渓流釣りが楽しいから、釣りをしない親父と一緒に行く、そんな選択肢すら無かったのです。
しまったな・・って本当に想います。
元気なうちに、一緒に山歩きしておきたかった。
来年、少しでも動けそうなら、親父を連れて、一緒に行きます。
投稿: アイ | 2019年6月12日 (水) 08時29分