釣りで体に起こる事・2
釣りで体に起こる事と言う記事を書いてみまして。
これが私的には面白くて、その後も少しづつ勉強してみています。
「目を輝かせる」の意味から、釣りだけでなくて、普段の生活でも充実感、満足感を得られるヒントになるように想うのですよね。
興味のある事、好きな事に接する際、瞳孔(黒目の部分)が散大し、光を反射して「目が輝いて見える」のは前記事で書きました。
>人は興味のあるものに触れると「興奮」し、交感神経の働きにより瞳孔が開く のですね。
これが子供だと「目がキラキラする」となりますし。
大人だと「目がギラつく」・・って、何か俗っぽくなりますね。
表現の違いはさておき、程度の差はあっても興奮・緊張状態を指すのは同じ。
ちなみに生理解剖は学生の頃に勉強したはずなんですが、1ミリも覚えていません(笑
私は渓流釣りが好きですから、渓魚は勿論、周辺の自然や、関連する様々なものに強い関心を持っています。
良型期待の好ポイントを前にすれば、「目がギラついてる」事でしょう。
果たして思惑通りに良型ゲットとなれば、事前の興奮→最中の緊張と興奮→事後の安堵感と言う、喜びのフルセットが味わえます。
釣りは準備段階ですでに、軽度の興奮状態になれます。
脳内の快楽物質と言われるドーパミンが分泌され、意欲旺盛になるのですね。
そして結果が出た後に再分泌され、その状態を「快」と人は感じています。
胸がドキドキする、とは本当の事で、血圧の上昇、心拍の増加が起きるそうです。釣り人は実際に計測しなくても、誰でも経験あるのじゃないでしょうか。
掛かった魚を取り逃がした際に落胆するのは、得られるはずの「脳内の報酬」を受け取り損なうことから来るのかも知れません。
幼い子供があらゆるものに興味を示すのは情報収集のためで、生物としての本能とも言われています。
何が快で、何が不快か。何が安全で、何が危険か。
これが分からないと生きて行けませんから。
こうした判断は幼子には出来ないので、虫でも花でも乗り物でも、何にでも関心を示し、ゆえに常に目が輝いています。
知識を吸収し、能力を上げることで、「喜び」と言う報酬が得られるように、脳内が出来てる訳です。
そうして人は経験から、物事の判断をするようになります。それが正しいかどうかは別として。
「快」を近付け、「不快」を遠ざけようとするのですね。
なので人間は好きなものと嫌いなものの両方に反応しますが、良い意味で目を輝かせるのは好きなもの、快と感じるものが対象です。
学校の勉強が嫌いな子供は、学習内容を快と感じていない→覚えても役に立たないと判断してるのかも。
これは大人になっても同様です。
好きな事は幾らでも学べますが、そうでない事にはやる気が立ち上がりません。
嫌々でも何でも、やらなきゃいけない事ってのはありますけどね。
人は年齢と共に好奇心の向けどころが絞られていきます。
元々「持って生まれたもの」には個人差があり、そこに経験が加わって、行動の選択が成されます。
私は渓流釣りを中心にしてアウトドアを楽しんでいますが、それは私が現時点で行き着いた選択の結果であり、似た志向の方は居ても、完全に同じ楽しみを持つ方は居られないです。
私は釣り以外では、山菜&キノコ採取もやります。これらにはフィールドが被る(近い)こと以外にも共通点があって。
時期や条件を考え、ターゲットを含めた自然を観察し、出会えるかどうかの確証のない山渓を歩く。
そして狙い通りに獲物に出会えると非常に嬉しい。
経験上、出会えた際の嬉しさは、魚でもキノコでも良く似ています。
しかしこれは人それぞれの感じ方で、釣りしかしない人は沢山居ますし、釣りよりキノコの方が楽しいと言う方も居ます。
私自身は趣味においては、釣りで出会える高揚感(喜び)に勝る事柄は知らないです。
体に起きる変化は自動制御なので、興味の無いことに対しては胸のワクワク感も無ければ、瞳孔の散大も起こりません。
でも挑戦してみたら楽しかった、とかはあり得ると想いますけども。
釣りでなくとも、自分の体に起こる変化が「何に対して」「どのように」が分かれば、普段から意図的に取り入れることは出来そうなんですよね。
集中力や記憶力など、調べない限りは見え難い事柄でも、取り組むこと次第で違いが起きるのは確かなよう。
「釣りをしていて何が楽しいか?」とあらためて考えてみた時、こうした体内の変化との関わりは確かにあると感じます。
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