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2020年12月12日 (土)

アウトドアの安心と不安について

私の周囲の人は皆、私が休日は年中、山遊びをしてることを知っています。

何たって楽しいですし、趣味と言うよりは、殆ど「人生の一部」だと想っています。

自然の中で様々なものに出会い、触れられる喜びは、その環境が好きな人は皆、感じるんじゃないでしょうか。

その手段は釣りだったり、登山だったり、色んな遊び方がありますね。

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直接の友人の中には居ないか少ないんですが、心配性(不安症?)な方が居まして。

「山の中で一人では怖くないのか」とか、

「危ない事があったら、どうするのか」とか、たまに聞かれます。

 

こうした事を聞く人って、殆どの場合、「具体的に何がどの程度怖い(危ない)」かを、あまり考えてみえません。

もしくは多分、何処かで聞いたか、頭の中で想像したか、そうした仮想・架空の話が大きくなってるんですね。

これは言葉が悪いのを承知で書きますと、「見た事はないけどオバケが怖い」みたいな先入観じゃないかな?

 

「幽霊の正体見たり・・」みたいなもので、相手のことが解れば、怖さの多くは、無くならないにしても小さくなります。

アウトドアで遊んでる私としては、そんなに神経質になるほど怖い事は無いし、危険があるにしても、その不安より楽しさの方が、圧倒的に上回ってると考えています。

 

 

事故や怪我など、実体験からの心配を言う人も居られます。

これはオバケじゃないですから、マジメに聞いておいて損のない話ですが、誰もが大怪我するほど危険なら、アウトドアをやる人は居なくなります。

道を外れると危ないのは確かですから、こうした事はシッカリ学んで、後は楽しめば良いかなと。

経験豊富な人は、未経験者に過剰な不安も、危険を軽んじることも語りはしないでしょう。むしろその豊富な経験から、魅力を伝えてくれそうです。

 

ちなみに真正の心配性の人は、人から「危なくないのか?」と聞かれただけで、もう怖くていたたまれなく成るそうです。

そうなると・・特に単独のアウトドアは厳しいかもですね・・。

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怖い・危ないと感じるのなら、近付かないのは一つの正解です。

その基準は人の経験値により様々で、私では無理でも、難なく危険を突破出来る能力者も居て、そうした人からすれば、私の感じる危険はその人にとっては大したことではない、となります。

体力にも対応力にも、個人差がありますのでね。なので判断基準は皆違います。

 

 

一例ですと、山中では熊に出会う事があります。

私の判断では、熊は基本的に「怖い」動物ではありません。

喧嘩になったらタダではすまないですから、「危ない」動物なのは本当です。

 

街中で車が走っていたら、ぶつかったら大怪我しますから、「危ない」です。

では普段、車道の車が「怖い」かと言えば、違いますね。

 

一般に、車と熊の何が違うかと言うと、「良く知ってるか、知らないか」じゃないですかね。もしくは「慣れているか、不慣れか」。

車は確かに「危ない」ですが、それがあまりに「怖ければ」、人は街中には住めません。

また山間に住む人は野生獣に出会う機会は多いはずですが、引っ越す訳でもなく、生活しておられます。

 

良く知らないものが怖いとは、誰でも大なり小なり感じても普通のことです。

「知らない」→「怖い」→「危ない」は混同されやすく、これらの一致は、知識や能力の不足から来るものです。

 

加えて、自然を分かったつもりになって、ナメて掛かるのも良くないです。慣れるとナメるも似ていますが、違います。

慎重に構えることも必要ですが、過剰反応は不要です。

そこは程度の問題で、その判断は経験する中でしか学べない事が沢山あります。

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もう20年くらい前ですが、保育園や小学校などで「川や山は危ないから近付かないように」との指導があったそうです。

それは違うだろう、と私は想いましたし、実際そう言ったクレームが多かったらしいです。今はその文言は無くなりました。

 

 

ここで大事なのは、「山や川の何が危なくて、どうすれば回避できるか」を、子供が自分で考えて、対処できるようにすること、これが指導・教育じゃないですかね。

その為に大人がするのは、気付きの機会を奪うことではない。

 

基本的に、野外の遊びが嫌いな幼子は居ません。

そこは大人が与えた環境じゃなくて、自由な発想で遊べるフィールドです。

 

 

百聞は一見にしかず、実際に触れて感じる事が大事。

それは山川だけでなく、また子供に限った話でもなく、他の何でも同じです。

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世には危険な事柄は沢山あります。

だから近付かない、近付かせない、と言ってしまったら、危険の回避能力が備わらないし、同時に楽しみも、時には利便性まで捨てることになります。「要らない」と決めたのなら良いですが、興味があるものならば、それでは勿体無いです。

 

 

必要に応じて学ぶべきを学び、危険は最小限に、でも楽しみは最大限に。

幾らかの学ぶ労力を惜しまなければ、相応の楽しみが手に入ります。

そしてそれは身近なアウトドア遊びなら、そんなに難しい事じゃありません。安易に考えすぎるのは時として問題ですけどね。

 

 

経験、判断力、対応力など、自分の身の丈に合った遊び方でアウトドアは十分に楽しめます。

最初のうちは安全と思しきものから、徐々に楽しみを広げられれば大丈夫。

 

自然の中で、リラックスして伸び伸び過ごせたら、肉体的にも精神的にも、まず好影響しか残りません。

逆に不安や不満が蓄積するのは、心身共に良くないです。

 

楽しむ為に準備をする事、それは知識も、体力の管理においても。

そのことで不安が少なくなり、安心と楽しさが増やせるなら、安い労力だと想うのですよね。

それに好きな事の為に準備をするのは、それ自体がすでに楽しさを内包してるものです。

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